談話室『和太刀』

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第112回 「桶狭間のその後。むなしい今川氏の最後でござる!!」 の巻


ツルギくん
ツルギ1
「前回までは、近年『迂回奇襲説(うかいきしゅうせつ)』がくつがえった、桶狭間の合戦の織田信長について話してきました!」


センセエ
センセエ2
「ハハハハ(笑)。ツルギ君、まだ興奮冷めやらぬといった感じだね。」



ツルギ1
「ハイ、そりゃあもう!! 自ら先頭にたって槍をふるって勝利を得た信長…。くうう~っ!カッチョイイ!!
それに比べて塗輿から降りる事無く後退するだけだった今川義元って、何てェザマだったんだろう。」




ガラシャさん
ガラシャ1
「あら、でも義元って今川家の歴史の中では最大勢力図を実現させた、稀有(けう)な武将としても評価が高いのよ。馬にも乗れなかったというウワサもあるけど…。」




ツルギ2
「ケッ!! ダメだよ、そんなやつ! ボクはやっぱり信長様に憧れるなあ。」



センセイ
「(笑)。信長様ときたか…。」



ガラシャ1
「でもセンセエ、桶狭間って確かに、歴史上大変重要な役割を果たした戦さですよね。その後の勢力図を考えると…。」




ツルギ1
「ん? どーゆー風に?」




ガラシャ1
「アンタねー、少しは歴史の勉強しときなさいよ!!」



センセエ2
「まあまあ、いいじゃないか、ガラシャさん。
(ツルギ君に)だってさ、まず信長は尾張から今川勢力が一掃されたから、尾張をほぼ統一して、次に美濃(みの)に進出しようとしたわけだろ。一方、義元の敗北により、今川の人質から松平元康が解放された。これが大きかった。」



ツルギ1
「松平元康って…。アッ! 徳川家康か!」



センセエ2
「そういう事。戦いの直後、元康(家康)は約11年ぶりに岡崎城に帰還出来た。
以降はそこを拠点とした独立した動向が始まる。で、これ又美濃領有をもくろむ信長がいて、2人は翌年『清州同盟』を結ぶわけ。
これ以後、信長は北へ、元康は東へ兵力を動かしていくんだ。元康は段々と義元亡き後の今川氏を圧迫してゆき、永禄7年(1564年)頃には、ほぼ三河全域を統一したんだよ。信長も美濃の斉藤氏の抵抗を受けながらも永禄10年に稲葉山城を攻略して、ついに美濃を併合する。
そして翌年の秋、いよいよ上洛の軍を進めたというわけ。」



ツルギ1
「ああ、そうか。桶狭間で敗れたからといって、すぐに今川氏自体が滅びたという訳じゃないですもんね。」




ガラシャ1
「そりゃあそうよ。義元亡き後は氏真(うじざね)という人が跡を継いでいたんですもの。ネェ、センセエ。」



センセイ
「さすがガラシャさん、よく御存知で…。ところがこの氏真はまるで覇気が無くてね。元康の侵攻を止める事が出来なかったんだよ。信長が上洛した年(永禄11年)の12月には北方から武田信玄の侵略のために遠江掛川城に逃れたんだ。ところがそこを西方から元康に攻められて…。」



ツルギ2
「ギャ~ッ!! 武田信玄と徳川家康のハサミ討ちか!! そいつはもう無理だ!!」



センセイ
「そういう事。だから翌年の5月には領国を放棄して北条氏のもとへと逃れる事になった。」



ガラシャ2
「かつては東海地方に名をとどろかせていたのにねェ。」




ツルギ2
「何だかむなしい話ですね。」




ガラシャ1
「もともと桶狭間の合戦のきっかけになったのは、昔は義元が上洛するために、ついでみたいな形で尾張に手を伸ばしたと言われていたわけですけど、最近になってそれがれっきとした勢力争いだという事が言われているわけですけど、それなら『手を出さなければ良かったのに。』なんていう理屈は成り立たないですよね。」



センセエ2
「そうだねェ。義元が尾張攻めに用意した25000人という兵力からして、間違いなく、今川軍本隊全軍という数だから、『ついでに…』という感じではないよね。
でもね、今川軍ってこれ以前はもっと戦さのやり方なんか、もっと上手くやっていたと思うのね。だって信長がやっと尾張を統一しようとしていた時、今川氏はもうすでに東海一円を手中にしていたわけで、『そこからさらに!!』みたいな勢いがあったわけじゃない。」



ガラシャ1
「そうですよね。義元軍がモロくなった原因として何が考えられますか?」



センセイ
「そうだなあ。一つ挙げるとすれば、以前は大原雪斎(たいげんせっさい)という人…僧がいたんだよね。この人、甲(こう)相(そう)駿(さん)三国同盟を締結させるとか、義元の軍師としてとても活躍した人なんだけど。」



ガラシャ2
「ああ、雪斎和尚ですね。何でも人質だった徳川家康(元康)の教育係を務めたとも言われている。」



  談話イラスト110






ツルギ1
「家康の教育係!! スゲエな、そんな優秀な人がいたんだ。」



センセエ2
「だけど永禄3年(1560年)に義元が駿府城(すんぷじょう)を出陣する5年前に、雪斎さんは亡くなられているんだよ。それまで三河方面はこの雪斎が占有を担当していたと言われていたんだけどねェ。」



ツルギ1
「雪斎さんが亡くなられてからは誰が担当していたんですか?」



センセイ
「義元本人さ。さらにその後は家督を嫡男である氏真に譲り、自分は西方に力を伸ばそうとしたわけ。」



ツルギ1
「出たっ!! 覇気のない軟弱息子!! ははは、何か聞いていると、今川氏はどの道ちょっと先行き暗かったかな。」




ガラシャ1
「義元にしたら、ホントは我が子に覚えて欲しい帝王学みたいなものを、雪斎みたいな有能な人が教育係だったために、家康の方が吸収してしまったみたいな。」



センセエ2
「なる程。確かにそれは言えるかも(笑)。でもこの時代、ホントに一寸先は闇…というか、昨日まで天下に名をとどろかせていたのが、今日はもう違う武将にとって代わられるのが当たり前だったわけだから、恐ろしいよね。」







             つづく       センセエ4
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[ 2012/12/17 00:00 ] 談話 | TB(-) | CM(-)
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