談話室『和太刀』

~立ち廻りから得られる身体のお得情報!~

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第74回「心だけでは戦えないでござる!!」 の巻


ガラシャさん
ガラシャ1「前回の最後でセンセエがおっしゃった通り、
        『心の修業』と『身体の修業』、そのどちらが上なのかと言っても、
        これら二つって本来切り離しては考えられないものですよね。」


センセエ
センセエ2「そう、そのどちらかの極端に傾いてしまうと、
        今度は相反したものの中でもシンプルなものに
        簡単に敗れてしまったりするしね。
        多分『心法の剣』の一派も、スタートは『相手を前にして
        アレコレと手先の工夫をするのではなく、
        ただシンプルに真直ぐ突き進み、太刀を振りおろす事が大切なんだ。』
        みたいな、邪道なもの(アレコレ考えすぎたり、
        工夫をし過ぎて道がそれてしまうもの)に対して、
        そういうものを排除していたんだと思う。
        だからそういう意味では
        複雑過ぎてよくわからなくなってしまった身体性に対して、
        これでいいんだというシンプルな身体性の方向が存在したと思うんだ。
 
        『斬り結ぶ 太刀の下こそ地獄なれ 一歩進めば先は極楽』みたいなね。

        でも、『心』が大切なんだという事が極端になってしまうと、
        身体性が消えてしまうんだよね、もう。
        あと型稽古のようなカリキュラムを、『そんなものやったって何の意味は無い。』
        と言われてしまうともうね、人がついていけなくなるでしょ。」


ツルギくん
ツルギ1「そうだよなあ。入門しなくたっていいじゃないか
        という話になっちゃいますもんね。」


センセエ2「そうでしょう。極端すぎて身体を失ってしまったものの矛盾点をつく、
        真里谷円四郎(無住心剣術三代目)のような、ある種の天才というのは、
        天才ゆえに跡を継げたんだとも言えるワケ。
        そうでなければ、何も考えずに太刀をただ振りあげて振りおろせば良い
        なんて言われても、『は?』となっちゃうよね(笑)。」

ガラシャ1「そういう意味では円四郎という人は『動じない心』という点ではスゴいですよね。

        身体性を失ったものといっても、
        そういうものにシンプルに自分をぶつけていくのって
        相当怖いと思うんですけど。」


センセイ「一歩間違えば、ただの無謀で終わってしまうもんね。
        でも、そういう意味ではやっぱり円四郎も
        無住心剣術の人だったんだろうね。
        普通の人だったら、『心法の剣…なる程、そうかあ。』と言って
        憶してしまうところを、それならこれはどうなんだと
        スラスラと突き進んじゃえるわけでしょ?」


ガラシャ2  「ああ、そうですね。」



ツルギ1「でもその『身体性が消えていく。』というのは、
        一体どうしてそんな事になるのかな。」


センセエ2「そういうのは、武術家の甲野先生もおっしゃっているけど、
        やっぱり『禅』の影響も多々あったんだろうと思うよ。
        いわゆる『無の境地』とか『無になれ。』という発想が
        かなり関係していると思うよ。

        一切の技を捨て、身体を捨て、心を無にせよ、というね。」


ツルギ1  「なる程。」


センセエ2「でも単純なこと言うと、ホントに身体を捨てちゃったら
        戦えなくなっちゃうもんね(笑)。
        身体や技を捨てれば勝ち負けなんか気にならないと言えば
        何となく格好イイかもわからないけど。

        禅はそういう意味では“戦(いくさ)”がなくなってからの
        武士の社会の体制を守るには絶好のものだったんじゃないか
        と思うんだよね。
        面白い事に剣術の歴史を見ると、この“禅”に傾く流派というのは
        どんどん技の数が減っていってシンプルになっていくらしいんだ。
        だけども『神道』からきている流派というのは技が減るという事は無いらしい。
        むしろ細胞分裂の様に技数がどんどん増えていくという事があってもね。」


ツルギ1「へえ~っ! それは面白いですね。」



ガラシャ1「神道系というと例えばどんなものがありますか?」


センセエ2  「香取とか鹿島とかね。」


ツルギ1「鹿島神流とか香取神道流とか…聞いたコトあります。」


センセエ2「もともと香取や鹿島神宮の神官なんかが武術を伝えていたと言われているんだよね。

        それから神道や仏教が融合した『修験』も
        武術の発達に大きく影響をしたと言われているらしいよ。」


ガラシャ2「あ! じゃあ、源義経に武術を教えた天狗というのが修験者であった
        という説もありますけど、
        それって不思議な事ではないわけですね。」



    談話イラスト72



センセエ2「そういう事。だから武術の古伝書なんか見ると、
        天狗が様々な武器を持って結構出てくるからね。
        そういう流派はあまり身体性を失ってはいなかった。

        でも一般的には江戸期に入ってからは武術が武士の中では
        教養としての思想が高まっていくからね。
        これには“禅”というものの影響は“大”だよね。」


ガラシャ1「動いてどうのではない世界ですもんね。思想の世界というか。」



ツルギ1「天下の宮本武蔵なんかはどうだったんでしょうか。」


センセイ「いや、武蔵は関ヶ原にも出ているくらいで…。
        つまり戦(いくさ)の経験者であるわけでね。
        だから『五輪書』なんかでも『心』がどうのというより、
        やっぱり『身体ありき』という視点で色々工夫する事が
        肝要(たいせつである)という書き方をしているよね。

        その辺を誤解するととんでもない話で、五輪書の『空の巻』とか
        『水の巻』とかいってもやっぱりほとんど
        『身体論』を通してのあり方を書いている。
        それを具体的な技術論だと受け取れないところに
        現代人の悲しさがあるよね。

        日本人ってよくわからないけれど、何となく上位であるみたいなものに
        対してはみんな『心法』的に考えちゃうみたいなところがあるでしょ。
        その得体の知れないものに対して、具体的に突き詰めるよりも、
        そこにロマンを感じて処理しちゃうというか。」


ツルギ1「う~ん。悲しいけどボクは日本人なんだなあ。
        スゴくわかりますもん、それ。」






                     つづく      ツルギ3
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[ 2012/02/15 00:00 ] 談話 | TB(-) | CM(-)
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