談話室『和太刀』

~立ち廻りから得られる身体のお得情報!~

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『雑!!演殺陣人達(ざっつ!!えんたてめんつ)』 31:平(たいら)一刀流

『雑!!演殺陣人達(ざっつ!!えんたてめんつ)』

 このコーナーは、和太刀主宰者・清水大輔の子役から始まり、
殺陣師になり、現在に至るまでに出会った人や出来事をかき集めて
バラバラに(思いつくままに)脱ぎ散らかしたエッセイ風の独白文です。






31:平(たいら)一刀流

今から約18年くらい前の話。
T県の温泉地で有名な場所に立ち廻りの仕事を依頼されて仲間と共に行った。
場所は険しい山々の中にある温泉地。電車を降りてから(この電車の駅は無人駅だった。)バスで1時間30分程山道をガタガタと上がった所にそれはあった。
そこは一応観光地としてはそこそこ名のある場所で、ポツンポツンと近代的なホテルも建っていた。

依頼はそこのあるホテルのオーナーさんから、観光客を引き付けるために各(ホテルの)部屋をまわりながら『立ち廻りのショー』を見せて欲しいとの事であった。



その地は別名『平家の里』と呼ばれていた。
源平合戦の折、敗れた平氏の落人(おちうど)が追手を逃れてそこで小さな集落をつくって住んでいたという伝説があるのである。
そんな場所で立ち廻りのショーとなれば…。

私は前もって調べていた古流剣術の型を取り入れて振り付けをし、それを『平(たいら)一刀流』と名付けて立ち廻りをつくった。
1回約15分程のショー。お客様が晩御飯を食べている目の前で行い、オーナーの依頼で、1回の食事中に最低3ヶ所、出来るだけ多くの部屋をまわってショーを観せて欲しいとの事だった。

曲をかけながらの剣舞や立ち廻りなのだが、やっかいだったのは70名以上の大会場はともかく、20~30名程度の小さな会場には音源が無く、したがって自分達で巨大なCDラジカセを持って部屋から部屋に渡らなければならなかった事。イヤ、そんな事よりも…。
『ホテルのオーナーの…』と書いてきたが、実際には私達の知り合いのある先生(着物業界の方)が長年そのホテルと付き合いがある関係で、間接的に頼まれた仕事だった。
で、実は私達がそこでその様なショーをやるという事を、そのオーナーの奥様(つまり女将)があまり良く思ってはいなかったらしい。というワケで、このホテルに滞在していた約1カ月の間、ありとあらゆる遠まわしな女将さんの魔の手が私達にのびていた。



まず、1日どんなにショーをやっても日給は3,000円。このギャラ自体に文句があるというわけではない。
最初からその辺は承知していたわけだし、その代わりといっては何だが、そのホテルの宿泊代や食事はタダでという事だったので…。

ところがいざフタを開けてみると、宿泊先として案内されたのは『離れ』と称したほったて小屋の様な民家だった。もう何年も使っていない様なホコリだらけの。
さすがにこれはヒドイ、これは無いだろうという事でやんわりとした抗議をして何とかホテル内の客室の空いた所をあてがわれたが、このやんわり抗議が女将の気に入らなかったようである。

翌日からショーの真っ最中、つまりある会場での立ち廻り中に場内アナウンスが入り、『今より5分後、○○の間にて、平(たいら)一刀流の剣舞ショーがございます。』と言うのだ。声は無論女将である。

「今から5分後ったって…。今から5分後にここの部屋のショーがやっと終わるくらいなのに!!」

というワケで、私達は大急ぎでショーを終わらせると(振り付けを早めにしたり、はしょったりしてまでも)、デカイCDラジカセをかついで言われた部屋に衣装のままの大移動。
ちなみにその突然の場内アナウンスが入るまで、私達には次にどの部屋でショーをやれば良いのかは全く知らされていなかったし、オマケにホテル内の端から端へくらいの移動を常に強いられた。
1日が終わり、その日に回った部屋を振り返ると、『1、2、3』と順番をつけられる様な移動はほとんど無く、『3、1、2』とか、ヒドイ時には5ヶ所を回らされ、『1→5→2→4→3』みたいな順番だった事もあった。

ざっつえんたイラスト31

そして大会場以外の小さな会場でやる時の事はあらかじめ想定していたので、狭い場所でも対応の効く振り付けは考えてあったのだが、さすがに畳3枚くらいのスペースで、しかもステージ等はないから、目の前で客がナベをつつくという状態での立ち廻りまで行わなければならない時は本当に困った。ただし、これについても『小太刀VS鎌』等、間合いの近くて済む様な出し物を用意して対応した。すると…。

一番驚いたのは、ショーが終わって部屋に戻ると荷物が無かった事。
つまり私達が居た部屋に新しくお客様が来るという事で、勝手に荷物を移動させられていた事である。
大きなホテルではあったので、空き部屋だったら他にたくさんあったのにだ。
新しく案内されたのは地下室の様なカビ臭い部屋。
時々東京から、そもそもここを紹介して下さった先生が偵察に訪れると、この時とばかりに良い部屋に移された。そして2、3日後にその先生がお帰りになると、すぐに又地下部屋に移動…。



こうして部屋から部屋への移動、そして不定期な場所のゲリラ場内アナウンス付きの立ち廻りショーが連日続き、徐々に精神的にも肉体的にも追い込まれていった。
泣き出すヤツまで出てきたほどだ。まあ、そうは言っても他のメンバーは一週間もすると別のメンバーと変わったりしていたので、そこに一カ月間ベッタリ居たのは私だけだったのだが…。
その甲斐あってかどうかは知らないが、そのホテルにとどまらず、いつの間にやら私達はその地域全体の評判になり、一カ月後には平家の落人の集落に構えたステージ上で一大イベントを行う事になった。その話は又。

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[ 2013/05/27 00:00 ] ざっつえんた | TB(-) | CM(-)

第123回 「秘技・逆風でござる!!」の巻


ツルギ1
「イヤ~、前回は柳生石舟斎宗厳(やぎゅうせきしゅうさいむねよし)が徳川家康との出会いから、息子宗矩(むねのり)を家康に託すという流れで、一時は豊臣により滅亡しかけていた柳生家が見事に再生していくという流れだったわけですが。」





ガラシャ1
「人との出会いによって何が起こるかわからないという、いい見本よね。」



センセエ2
「まったくだね。元をたどれば、新陰流の祖である上泉伊勢守信綱に出会った柳生宗厳がその強さに屈服し、それまで学んでいた中条流とか新当流を捨ててまで信綱に就いたという、その素直さがあったから事が上手く運んだ気がするよね。」



ガラシャ2
「素直さって大切ですよね~。」





ツルギ2
「な、何故ボクを見る!?」




ガラシャ1
「別に…(軽く流して)。ところでセンセエ、柳生宗矩ってあの沢庵和尚から『古今無双の兵法の達人』と呼ばれていたと言われていますけど、やっぱり強かったんでしょうね。」



センセエ2
「そりゃあねェ。イヤ、別に見たわけじゃないから当然推測に過ぎないけど。」



ツルギ1
「ヘエ!あの沢庵和尚にそこまで言わせるとは…。って言っても沢庵さんは兵法者ではないからなあ。」



センセエ2
「イヤ、ツルギ君。沢庵さんの書である『不動智神妙録(ふどうちしんみょうろく)』っていうのは、江戸時代に最も多くの侍達のバイブルだった訳でね。その人からそういう評価を得るというのは、やはり相当な達人だったという証(あかし)なんだと思うんだよね。」



ツルギ1
「ヘエ~!そうなんですか!」



センセエ2
「ウン。ただし宗矩が人を斬ったというのは生涯にただ一度だけだと言われているんだけどね。」



ツルギ1
「へ…?ただ一度…なんスか?」



センセエ2
「そうなんだ。だけどこの『ただ一度』のエピソードが凄まじい話でね。」



ガラシャ1
「ぜひ聞かせて下さい!!」



センセエ2
「ウン。時は慶長(けいちょう)20年、1615年の大坂夏の陣の時…。」



ガラシャ1
「エッ?あの徳川VS豊臣の最終決戦と言われたあの?」




ツルギ1
「ああ。淀の方(淀君)が先頭に立って家康に立ち向かったけど、結局豊臣方が滅亡してしまったアレですか?」



センセエ2
「そう、アレです。まあ知っての通り、戦さ自体は徳川方の圧勝だったんだけど、そんな中、敗色濃厚だった豊臣方の武士35人が、鎧(よろい)を脱ぎ捨てて軽装となり、将軍秀忠の馬前に迫ったんだ。」



ツルギ2
「鎧を脱ぎ捨て!?ヒェ~、もうヤケクソだったんですね。」




ガラシャ1
「とも言えるけど、死を覚悟して敵に一矢報いようとした場合、身を軽くして一気に斬りかかるというのはある意味効果大よね。」



センセエ2
「ハハハハ。さすがガラシャさん、冷静な分析です。そうなんだ。鎧を着た状態で軽装者である相手を斬るというのは、おそらく大変な事なんだと思うんだよね。」



ツルギ1
「で、どうなったんですか?秀忠は…っていうか、将軍なんだから護衛の武士達も大勢いたわけですよね。」



センセエ2
「それがね、護衛武者達は徳川方の完全勝利を目前にして浮かれちゃっていたのか、全て出払っていたという。」



ツルギ2
「ア、アホかー!!」


ガラシャ2
「ツルギ君の類(たぐい)の人達だったんじゃない?護衛が…。」




ツルギ2
「な、何ィ!?」




センセエ2
「まあまあ(笑)。とにかく大ピンチだった秀忠だった訳だけれでも、この時豊臣方の武者達の前に立ちはだかったのが宗矩だった。」



ツルギ1
「オオ~!さっすがぁ!!」



センセエ2
「で、宗矩は秀忠をかばいながら奮戦した。かかってくる相手の太刀を握る手を次々と斬り上げていった。つまり一人の小手を斬り、戦闘能力を失わせたら、その相手には目もくれず、次の相手の小手を斬るという戦法をとった訳。」



ツルギ1
「せ、戦法ったって…。意識して死に物狂いの相手の小手を…。やっぱり達人だったんだぁ。」



センセエ2
「まったくね。結局、異変に気付いた護衛の旗本達が戻ってくるまでに、何と七人も斬り伏せていたそうなんだ。」



ガラシャ1
「スゴイ話ですねえ。」



センセエ2
「で、この時宗矩の活躍で命を救われた秀忠は、息子の家光(後の三代将軍)が剣術を学ぶべき年齢に達した時、『ぜひ新陰流を学ぶがよい。』と言ったと。」



ガラシャ1
「ハア~。なる程。かつて宗厳が家康の信頼を得て、息子の宗矩をあてがったわけですけど、今度は家康の息子秀忠を実戦で宗矩が守り抜いたとなれば、これで徳川家の柳生に対する信頼感は完璧ですね。」



センセエ2
「そういう事だね。ちなみに新陰流の組太刀の型の中に『逆風』と言われる、相手の腕を斬り上げる技があるけれど、この時宗矩の使ったものが『逆風だった。』と言われている。」




談話イラスト121





ツルギ1
「逆風!!技の名前も格好イイ!!」








     つづく     ツルギ3
[ 2013/05/20 00:00 ] 談話 | TB(-) | CM(-)
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