談話室『和太刀』

~立ち廻りから得られる身体のお得情報!~

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第115回 「剣聖登場でござる!! その②」 の巻

ツルギくん
ツルギ1
「さて、今回は塚原卜伝の第2回目です。旅から心身喪失状態で帰ってきた卜伝さん。
1000日の参籠(さんろう)を終えて悟りを開き、第2回目の修業の旅に出た!ジャンジャン!!」


センセエ
センセエ2
「ハハハハ(笑)、ノッてるね、ツルギ君。そう、卜伝が2回目の旅に出発したのは大永3年(1523年)。
北を目指して出羽三山(でわさんざん)に行き、上野国(こうづけのくに=群馬県)に入り、兄弟弟子の上泉秀長(かみいずみひでなが)と会う。」

ガラシャさん
ガラシャ1
「上泉…って、もしや時代的に。」



センセエ2
「オヤ、さすがガラシャさん、いい読みしているネ。そう秀長は後の伊勢守(いせのかみ)、つまり柳生新陰流の祖となった男だ。」


ツルギ1
「オオ~!!なんちゅう夢の顔合わせだぁ~!!」



センセエ2
「で、上泉城外の諏訪社で禊ぎ(みそぎ)をし、近くの野原で共に稽古をしたそうだよ。そして城にいる兵士達にも指導したようだ。」


ツルギ1
「上泉伊勢守と塚原卜伝の稽古かぁ。一体どんなハイレベルなものだったんだろう。」



ガラシャ1
「センセエ、この2回目の旅で、武勇伝的なお話ってありますか?」



センセエ2
「武蔵国川越市(むさしのくにかわごえし)にいた時は、薙刀使いの梶原長門との対戦があった。この梶原長門という奴、強い奴を探しては挑戦して立ち合い、あらかじめ打つ場所を『首』とか『脛(すね)』とか『胴』とか予告しておいて、その通りに打ち果たすという名人でね。」


ツルギ1
「こわ~っ!!で、どうなったんですか?さすがの卜伝も苦戦したのでは?」



センセエ2
「弟子達は心配したらしいんだけど、『心配無用!!』と言って、一刀の下に斬り倒したらしい。」


ツルギ1
「キャァ~!!さっすがぁ!!」



センセエ2
「あと有名なのは『無手勝流』という妙技の逸話かな。」


ガラシャ1
「無手勝流…つまり戦わずして勝つという…。」



センセエ2
「そう。この旅では京を出て琵琶湖に至っているんだけど、その船中で大言壮語の武士に勝負を挑まれた。まあ、今風に言えばイチャモンつけられたという事。」


ツルギ2
「船の中で?迷惑な奴だなあ。」



センセエ2
「ツルギ君もそう思うかい?卜伝さんもそう思ったんだと思うよ。で、船上では他の人に迷惑がかかるからと言って、『近くの小島にて勝負を受けよう。』と言い、小島に行く。
ところがまず先に武士を降ろしたところで、自分は降りずに船を出し、武士を小島に置き去りにしたという。」


ガラシャ1
「(笑)。まさに戦わずして勝つという言葉通りですね。」




談話イラスト113




ツルギ1
「アリャ!?ちょっと待って下さい。そのエピソードって、確かブルース・リーが映画『燃えよドラゴン』の中でやっていたのと同じだあ!!」



センセエ2
「ハハハ(笑)。気付いた?その通り。ボクもこのエピソード、卜伝より先にブルース・リーの映画で見た一人さ。ブルース・リーが日本の“塚原卜伝”の研究までしていたという事だろうね。ブルース・リーって他にも剣豪のエピソードを映画に適用していたりするからね。その辺りはさすがだよね、ブルース・リーも。」


ツルギ1
「ウ~ン、そうかぁ、そうだったのかぁ。」



ガラシャ1
「私も今度観てみようっと、『燃えよドラゴン』。で、その置き去りにされた男って、その後どうなったんですか?」



センセエ2
「ウン。こいつ、落合庄右衛門というんだけどね、その後もしつこく追ってきたらしいんだけど、蒲生城(がもうじょう)という所で卜伝を襲い、逆に小刀で返り討ちにされている。」


ツルギ1
「やった!!ザマアみろ!!」



センセエ2
「それから武勇伝というわけじゃないけど、この旅の途中で三河である男と会った。
その男は父の家が今川家に仕えていたので自分も仕えようと思ったが、隻眼(せきがん=片目)の上、歩行にも難があったようで、今川家が認めなかったという。卜伝の強さをウワサに聞いたのか、この男、卜伝の弟子になりたいと言う。」


ツルギ1
「何か気の毒な人ですね。それで卜伝先生は何と?」



センセエ2
「己を認める人に仕えよと言ったらしい。で、この男はやがて甲斐の武田に仕えて…。」


ガラシャ1
「センセエ!!それってもしかして、山本勘助(やまもとかんすけ)では?」



センセエ2
「御名答!!」


ツルギ1
「山本勘助!!あの武田の名軍師の!?へぇぇ~。もったいな…あ!いいのか。卜伝さんに弟子入りしていたら、その後武田の重臣にはなっていなかったかもしれない。」



センセエ2
「そうだね。でも山本勘助の方では生涯卜伝のことを師と仰いでいたらしいよ。」


ガラシャ1
「いいお話ですね。」



センセエ2
「その後、卜伝は九州の太宰府(だざいふ)まで足をのばし、奈良時代に防人(さきもり)が訪れて守った土地を訪ね、鹿島の古流の太刀を探していたようなんだ。」


ガラシャ1
「研究熱心~。」



センセエ2
「この2回目の廻国でのテーマは『剣は教えるということに基盤を置き、世の中に仇なす者のみ、その剣をふるう。』ということ。」



ガラシャ1
「それもさすが!新陰流の『活人剣』に通じる哲学が感じられるわ。」







                        つづく        ガラシャ3
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[ 2013/01/28 00:00 ] 談話 | TB(-) | CM(-)

第114回 「剣聖登場でござる!! その①」 の巻


ツルギくん
ツルギ1
「さて、お待ちかね、今回からいよいよ剣豪シリーズってわけです!!」



センセエ
センセイ
「シリーズって…まあ、いっか。え~っと塚原卜伝(つかはらぼくでん)からだったっけ。」


ガラシャさん
ガラシャ1
「ハイ、新当流の創始者である剣聖です。」



センセイ
「卜伝はもともと鹿島神宮に伝わる『鹿島の太刀』を幼少の頃に学んだんじゃないかと思うんだけど…。
というのは卜伝は元々鹿島神宮に奉仕する家に生まれているんだ。『吉川家』というのがそれ。
父は吉川左京覚賢(よしかわさきょうあきたか)、10歳上に常賢(つねたか)という兄がいた。卜伝の幼名は朝孝(ともたか)といった。朝孝が生まれた時(廷徳元年→1489年)、父の剣友である塚原土佐守安幹(つかはらとさのかみやすとも)が嫡子を亡くしたため、朝孝を養子にやるという約束をするわけ。
そして約束に従い、5歳か6歳の頃、朝孝は塚原家に養子に行く事になった。」



ツルギ1
「はああ! 卜伝さんは養子だったんですか!? まずそれにビックリ。」



センセイ
「そう。養子に行った先で塚原新右衛門高幹(つかはらしんえもんたかもと)を名乗る。で、卜伝の人生で最も重要なキーワードは『修業の旅』。
生涯で3回行っている。その第1回目は永正元年(1504年頃)。卜伝16歳の事である。」



ガラシャ1
「随分と若いですねぇ。」



センセイ
「鹿島神宮で正月行われる歳山祭(としやまさい)の占い(卜占…ぼくせんという)の結果、つまり1年間の吉凶を知らせ歩く『鹿島の事触(かしまのことふれ)』というのがあって、これに同行して京の都に行ったのであろうと思われる。」



ガラシャ1
「1年間の吉凶を触れて歩く…。今も昔も人は占いを気にしますね~。なる程、卜伝の『卜』って『卜占』というところからきているのかもしれませんね。」



センセイ
「そうだね。で、途中で事触れと別れて、京の都にしばらく腰を下ろす事になるんだけど、卜伝第1回目の真剣勝負はこの旅の時、清水寺周辺で武士に絡まれている老女を助けようとして行われた。で、この時まだ純粋だった卜伝は相手を斬り伏せる。」



ツルギ1
「しっかし最初から老女を助けるなんて、如何にもヒーローらしいスタートですね。」



センセイ
「この当時、京は戦乱の真っただ中だったから、そんな卜伝の技を見てスカウトしたいと思った武将は多かったと思うよ。卜伝(高幹)は管領(かんれい)細川高国(ほそかわたかくに)の下の細川政元(まさもと)について、丹後攻めに加わったとも伝えられている。
で、どんな戦いにも連戦連勝。『真剣勝負の試合19度、戦(いくさ)の場を踏む事37度、1度の不覚もとらず、傷1ヶ所もこうむらず、矢傷をこうむる事6ヶ所…。』というものスゴイエピソードは、この第1回目の修業の旅がほとんどなんだ。」



ガラシャ1
「時代背景もあるんでしょうか。卜伝の創始した鹿島新当流の技って、鎧武者(よろいむしゃ)を想定しているような、急所ねらいの動きが多いですよね。」



センセイ
「確かにね。で、氷正11年(1514年)頃から、この戦乱は京より地方へと広がっていく。都自体はやや穏やかになったので、卜伝も戦いの場を京を中心にして足を延ばして地方へも向ける事になる。」



ツルギ1
「1回目の旅って…結構な長旅ですよね。」



センセイ
「そうだね。結局十数年はこうした生活をしていたわけだ。氷正12年(1515年頃)やっと帰国の途につくことになる。でも鹿島へ帰り着くのは3年後の氷正15年頃という事だった。」



ツルギ1
「ゲッ! 3年も帰りに使っちゃったわけですか? 何でそんなに時間がかかってしまったんでしょうか。」



センセイ
「さあ、詳しい事はわからないんだけど、鹿島にたどり着いた時は『幽鬼(ゆうき)のごとし』と言われたくらい、心身ともに疲れ果てていたという話だ。」




談話イラスト112






ガラシャ1
「アラララ!! つまり抜け殻のようになっていたと…?」



センセイ
「そういう事だろうね。憶測だけど、幾多の戦場を若くして経験し、殺傷に明け暮れていたため、心身共に相当病んでいたのではないかという人もいる。」



ガラシャ1
「16歳ではじめて真剣勝負をしてから、ほとんど休まずにそんな生活をしていたら、そりゃあそうなっても無理はないですよね。」



センセイ
「確かにね。」



ツルギ1
「それから…どうにかして立ち直ったわけですよね、ボロボロの卜伝さんは。」



センセイ
「そりゃあね。じゃなきゃ剣聖・塚原卜伝は語り継がれたりはしないさ。まあ、そうはいっても実家・養家の両方の看護でようやく立ち直ったという事なんだけど。
やがて訪れた剣の師・松本備前守(まつもとびぜんのかみ)のススメで1000日の参籠(さんろう)に入る事になる。実家を中心に海に出て海水で禊(みそぎ)をし、御手洗池(みたらしのいけ)でも禊(みそぎ)をしたとも言われている。」



ツルギ1
「うわぁ~。それを1000日か。まあ剣豪の修行らしいといえばらしいですね。」



センセイ
「1000日の参籠(さんろう)が終わる頃、鹿島城で内乱の兆しがあり、実父・覚賢(あきたか)が宿老を引退。こういう流れの中で松本備前守は卜伝に第2回目の廻国=修行の旅をすすめたんだ。」



ツルギ1
「エ!? 1000日の参籠をしてまた!?」



センセイ
「うん。でも卜伝自身はこの1000日参籠を終えて、剣では悟りを開いた。修業の旅で得られた剣の技は全て卜部(うらべ)吉川家(=生家)が伝える『鹿島の剣』を母体として展開されたため、卜部の剣を伝えるという意味で名前を塚原卜伝(つかはらぼくでん)とした。」



ツルギ1
「ホラ、名前の由来はボクが言った通りだろう?」




ガラシャ1
「(そんなツルギ君を無視するように)名前をそこで『卜伝』にして…、流派の名前は名乗らなかったわけですか?」



センセイ
「自身は鹿島の大神から『心を新しくして事に当たれ。』と啓示を受けて開眼したらしいけど、生前は『新当流』という流名は使わなかったみたいだね。さて、この第2回目の廻国の話は…。」



ガラシャ1
「又、次回ですね。」




ツルギ1
「楽しみィ~。」








                      つづく    センセエ4
[ 2013/01/21 00:00 ] 談話 | TB(-) | CM(-)
PICK UP!!
UP 
【技講座⑭構えのジャンル】コチラ
90

【技講座⑬沈身の半身】コチラ
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【技講座⑫身体の各パーツの分離】コチラ
技83

【技講座⑪刀の握り】コチラ
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【技講座⑩半身歩法】コチラ
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【技講座⑨剣を使わない抜刀稽古】コチラ
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【技講座⑧肩の埋め込み】コチラ
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【技講座⑦柔らかい胸と沈む腰】コチラ
技講座写真32

【技講座⑥抜き打ち(抜刀・横払い)】コチラ
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【技講座⑤手の平合わせ→水平面の移動】コチラ
技イラスト2

【技講座④水平斬り】コチラ
技イラスト2

【技講座③脱力の技、二】コチラ
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【サムライダイエットエクササイズ1】 コチラ
トモエさん(顔)

【技講座②脱力の技、一】コチラ
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【技講座①流れるように・・・】コチラ
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