談話室『和太刀』

~立ち廻りから得られる身体のお得情報!~

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第109回 「桶狭間定説のウソ!ウソ!ウソ!でござる!!」の巻

ガラシャさん
ガラシャ1
「前回は信長の有名な『桶狭間(の合戦)』についてのお話だったんですけど、当然今回はその続きという事ですよね。」


センセエ
センセエ2
「ウン。疑問を投げかけて終わってしまったからね。」


ツルギくん
ツルギ1
「信長がまわり込んで攻め下った訳じゃなくて、正面から突破して今川軍を打ち破ったとか。」


センセイ
「その方がツルギ君みたいな男の子からしたら大好物だろう? 正面突破なんて(笑)。」

ツルギ1
「ハイ。そりゃあもう(ニンマリ)。」

センセエ2
「前回も言ったけど、有名な『迂回奇襲戦法』っていうのは1899年に日本陸軍参謀本部が編集した『日本戦史~桶狭間役~』が定着させたものだからね。」

ガラシャ1 
「何でそんなこと言い出したんでしょう? ツルギ君じゃないけど、カッコイイからとか…?」

センセイ
「まあ、それに近いだろうね。何か高い所から駆け下りてくる奇襲戦法により大軍を倒すっていうのって誰かに似ていない?」

ツルギ1
「あ! わかった。義経だ! 一の谷の合戦の!!」

センセイ
「そういう事。でね、この陸軍参謀本部が参考にした江戸時代初期の儒学者、小瀬捕庵(おぜほあん)という人が書いた『信長記(しんちょうき)』という本にそんなエピソードが書かれているんだけどね。
ここで問題なのはその『信長記』ですら、迂回して奇襲を仕掛けたというエピソードはあるんだけれども、『太子ヶ根(たいしがね)』という高見から駆け下りたなんていう事は一言も書かれていないんだ。」

ガラシャ1
「あらら…じゃあ、段々ディフォルメされて、まるで義経の奇襲みたいになっていったというわけですか。」

センセエ2
「だろうね。『正面突破説』については、前回も言ったように、1982年に藤本正行氏が言っているんだけど、こちらが参考にしている『信長公記(しんちょうこうき)』は信長の側近だった人(大田牛一)が書いているわけで、信憑性としてはこちらの方がはるかに高い。」

ツルギ1
「なる程。」

ガラシャ1 
「センセエ、他にはどんな事がわかってきたとかありますか? 後に尾ひれがついていった事で…。」

センセエ2
「もちろん。これが調べるとたくさん出てくる出てくる。」

ツルギ1
「例えば?」


センセイ
「まず戦さの動機ね。これは天下を狙う今川義元が上洛途中にあった尾張を併合しようとして始まったと言われていたけど、『信長公記』にはそういう記述はない。だから近年では、隣接する領土につきものの勢力図争いが原因とされている。」

ツルギ2
「ふわぁ、そっからかよぉ。」

センセイ
「それから、兵力の差なんかも、だいぶディフォルメされていたりね。」

ガラシャ1
「そんなに差はなかったという事ですか?」

センセエ2
「イヤ、確かに大差はあったんだろうけどね。織田軍の中心部隊が2,000人前後、今川軍全体が2万5,000人くらいというのが最近の説だね。さっきの『信長公記』ですら20倍以上差があったなんて描かれているけどね。
まあ、一番問題になるのは、やっぱり奇襲したという場所だよね。『桶狭間』という名前の響きから、さも谷間のような場所を想像してしまったのではないかと言われているんだ。」

ツルギ1
「なる程…。『桶狭間』…ですからね。」

センセエ2
「最も信頼しても良い『信長公記』には、谷間ではなく『桶狭間山(おけはざまやま)』とある。」

ツルギ2
「何と!! 谷間ではなく『山』とな!?」



     談話イラスト107





センセイ
「ウン。今川義元が高い位置から、自分の前衛部隊と信長軍の戦いを見ていたという描写もあるんだよ。」

ツルギ2
「へぇ~え。」

ガラシャ1
「でもセンセエ、義元は高見から見下ろしていたという状況自体、随分有利に聞こえるんですけど、それが何故最後は手勢の少ない信長軍に討ち取られるハメになったんですかねえ。」

センセエ2
「うん。まあ当たり前だけどボクも見た訳ではないから、それは憶測に過ぎないんだけどね。
やっぱりその謎を解く一つのカギとしては、織田信長という類い稀な武将の勢いというか、人間力が影響していると言わざるを得ないだろうね。」

ツルギ1
「ウォ~ッ! きたきたぁ!! ボクの大好きなジャンルの話ですよ、そういうの。
つまり相手が大きければ大きい程、己の中のエネルギーを集めて爆発的な行動に出て、相手の方がビビッちゃうみたいな…。」


ガラシャ1
「あんたねぇ…そうは言ってもマンガじゃないんだから。」

センセイ
「イヤ、この事に関する限り、ツルギ君の言っている信長の魔人の様なヒーロー像はあながち作り話とも言えない所があってね。」

ツルギ1
「ほうらぁ(得意気に)。それを表している様なエピソードが残されているみたいな事ですかねェ、センセエ。」

センセエ2
「ウン。義元自ら率いる今川軍は5月18日に沓掛城(くつかけじょう)に入城した。
そして先鋒部隊として松平元康(徳川家康)と朝比奈泰朝(あさひなやすとも)を派遣し、大高城へ兵糧搬入と、鷲津(わしづ)、丸根(まるね)の両砦の攻撃を命じた。この尾張進行に対して信長はどうリアクションしたか!」

ツルギ1
「ウヒョ~、ワクワクするぅ!!」

センセイ
「それは又次回。」

ツルギ2
「ガクッ!!」








つづく    
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[ 2012/11/11 00:00 ] 談話 | TB(-) | CM(-)

第108回 「定説がひっくり返る瞬間でござる!!」 の巻

ガラシャさん
ガラシャ1
「前回は寺に残された絵などの資料の中に男性兵士に混ざって女性兵士もちゃんといたらしいというお話から、日本の『弓』を引く時の大変さにまで話が及びましたけど…。」


ツルギくん
ツルギ1
「現代の和弓(わきゅう)の大会優勝者が飛距離二百数十メートルに対して、明治以前に残された記録では、
確か432メートルも飛ばした人がいたとかで、これには本当に驚かされましたよ。」


センセエ
センセエ2
「多分、弓が頻繁に使われていた源平の合戦時代や戦国時代ともなれば、もっとスゴイ人達もたくさんいたと思うんだけどね。」

ガラシャ2
「男女に関係なく、筋力によるパワーではない、『身体の使い方』に秘密があるというお話でしたよね。」


センセエ2
「ウン、そうだね。そこら辺の話をすると『昔の記録だからこれは誇張されたものだろう。』だとか言って、昔の人をウソつき呼ばわりする人もいるんだけど、ボクはそうは思わない。『人間の身体の可能性』ってそんなものじゃないというのもそうだけど、大体それまでは常識的だと信じられる事が、ある日の発見を境に、簡単に覆るみたいな事ってよくある話じゃない?
だからね、今常識だと信じられているものを全て受動的に信じる事というのはどうもネ。」

ツルギ1
「ああ、なんかわかります。ボクは近年恐竜が重い尾を持ち上げて上半身と絶妙のバランスをとりながら、かなり高速で移動していたなんて話を聞いてショックだったなあ。
だって小さい頃は『ウルトラマンに出てくる怪獣』みたいに、重い尻尾をズルズルと引きずって、ズシン、ズシンと歩いていたと思っていたから…。」


ガラシャ2
「バカねえ。あんなに歩くの遅くちゃ獲物を捕獲するなんて無理よ。
ああいう怪獣モノのズシンズシンとスローテンポで歩くっていうのは、『デカさ』を強調するための表現なんだから。」


セ 「ハハハハ(笑)。でもわかるなあ、ツルギ君の気持ち。ボクもウルトラマン世代だったからね。ハリウッド映画のジュラシックパークみたいな速く走る恐竜を見た時はホントにビックリした。
でもそんなコト言っていたら最近じゃ『やっぱり恐竜と鳥類の起源はリンクしていた。』なんて話…。つまり恐竜には羽毛が生えていたなんて話まで出てきているからね。」

ツルギ2
「ギャ~!! ホントですかそれ!?」



談話イラスト106



ガラシャ1
「アラ? 知らなかったの、ツルギ君。そうよ、もう二十何種類もの羽毛の痕跡がある化石が中国とかから出てきているって。」


ツルギ2「わ、わぁ~。何か気持ち悪い。恐竜に羽毛って…。」

センセエ2
「まあ、でも考えたら骨格から体型はわかるけど、肌の色や質なんて誰も見た事がなかったわけだしね。
骨格がトカゲの様だからって、肌質までがそうだったなんて誰にもわからないよね。」

ガラシャ1
「ああ……。ツルギ君のせいで話がどんどん恐竜になっていく…。
エ~ッと、センセエ的には何かそういう常識が覆された様な、歴史に関する事って他にありますか?」


センセエ2
「ウ~ン、そうだなあ。例えば戦国時代のなんかでいうと、やっぱり織田信長に関するコトなんかかなあ。」

ガラシャ1
「ああ、前にそんなお話出ましたよね。信長がドクロ酒を飲んでいたというのがウソで、実際は敵将のドクロに漆(うるし)を塗っておいて、その前で舞うとかいう行為があって、それは『立川流』という密教からきた供養であるとか。」


センセイ「さすがガラシャさん。よく覚えているね。それも確かにそうなんだけど、もう少し大きな事で言ったら、例えば桶狭間(おけはざま)の合戦なんかの話かな。」

ツルギ1
「出たあ! 『桶狭間』ってもう聞いただけで格好いい!!
桶狭間において、敵の今川義元の本陣を高みから見た信長は一気に攻め下って、奇襲戦法で義元軍を打ち破ったという…。
カァ~ッ!! 少ない人数で大軍を滅ぼした見本みたいなもんですよね。」


ガラシャ1
「き、急に元気になりおった、コイツ…。」


センセエ2
「あ、イヤ、悪いんだけど、ツルギ君。そこにこそまやかしがあってねぇ。
密かに太子ヶ根(たいしがね)という高地に登った信長が敵の本陣めがけて攻め下ったという『迂回してからの奇襲』というのは、1899年に陸軍参謀本部が編集した『日本戦史桶狭間』というのが定着させてしまったものなんだよ。
以来80年間、何の疑いもなくこの説が信じられて、定説のようになってしまっていたという。」

ツルギ2
「エ~!? そんなあ!! じゃあ、信長はいったいどこから攻めたのが正解なんですかあ!?」


センセイ
「まあまあ。慌てない慌てない(笑)。
で、この『日本戦史』に描かれている信長が義元本陣を見下していた“太子ヶ根”という場所なんだけどね、第一これすら『日本戦史』が見本にしたと思われる江戸時代初期の小瀬捕庵(おぜほあん)という儒学者が書いた『信長記』には載っていないんだ。」

ガラシャ2
「あ、じゃあその小瀬捕庵の『信長記』というのが奇襲戦法のモデル…というか。」


センセエ2
「そう、確かに信長記には迂回奇襲説のような事は書いてあるらしいんだけどね。
で、1982年に藤本正行(ふじもとまさゆき)さんという人が迂回も奇襲も無かったという事をおっしゃったんだけど。」

ガラシャ1「藤本さんがそれを否定した根拠というのは?」

センセエ2
「うん、それは『信長公記(しんちょうこうき)』という史料なんだけどね。」

ツルギ1
「『信長記』と『信長公記』……。う~ん、何か似たような。」


センセエ2「でも信長公記の方は太田牛市(おおたぎゅういち)という、信長の側近が書いたものだから資料としては…。」

ガラシャ1
「ああ、一番信用出来るというワケですね。で、センセエ、攻め下ったのでなければ、信長はどう攻め込んだかは書いてあるんですか?」


センセイ
「うん、それによれば、信長は迂回等せずに、真正面から突破したとされている。」

ツルギ1
「エ~!! ……ニンマリ(信長のイメージが崩れるどころか、むしろアップしたという笑み)。」









                つづく     ツルギ3
[ 2012/11/04 00:00 ] 談話 | TB(-) | CM(-)
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