談話室『和太刀』

~立ち廻りから得られる身体のお得情報!~

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第55回 「忍者の大将! ハットリ君でござる!!」 の巻

ツルギ1「前回の『忍者、百地丹波』はお話を聞けば聞く程、
ツルギくん
        謎に包まれている感じで、ホントに忍者らしいし、格好イイッスね。」


ガラシャ1「最後も城が落城した後、結局死んだかどうかという
ガラシャさん
        確認はされていない訳ですもんね。」


ツルギ1「センセエ! こうなったら“有名忍者シリーズ”、もっとイッちゃいましょう!」

ガラシャ1「そうね、それもいいわね!
        じゃあやっぱり服部半蔵(はっとり はんぞう)なんかどう?」


ツルギ1「イイネ! 影の軍団!好きだったなあ。やっぱり忍者の頭領というイメージ強いし、
        百地丹波以上に謎が多そうだもんなあ。」


センセエ2「うん。構わないけどね、素性は意外にハッキリしているんだよ、半蔵の場合は…。
センセエ
        どちらかというと忍者のまとめ役という意味では頭領なんだけど、
        武将というイメージが強い。
        大体、半蔵というのは何代にもわたって引き継がれた名前だからね。」

ツルギ2「ア! そういえば影の軍団でも幕末編とかがあったかも…
        エ!?あれ、フィクションとかじゃなくて!?」


センセイ「話自体はフィクションだろうけどね。それでも桑名藩(三重県)家老、
        12代目服部半蔵正義の日記なんてちゃんと残っていて、
        そこには鳥羽伏見の戦いの事なんかが綴られているみたいだからね。」

ガラシャ1  ツルギ1  「ヘエ~。」

センセエ2「で、甲冑姿の肖像画なんかも残っていて、
        有名なのは家康につかえていた服部半蔵正成だね。
        何せ徳川幕府創立に最も貢献したとして、
        『徳川16神将』のうちの一人に数えられているくらいだから。」

ツルギ1「16神将! カアッ! 名前からしてカッコイイ!」

ガラシャ2「出た! ツルギ君のお子ちゃまモード! センセエ、構わず先へ進めちゃって下さい。」

センセエ2「う…うん。正成は、服部半蔵保長(やすなが)の5男。天文11年(1542年)生まれで、
        家康に仕えつつ、父から上忍修業を受け、
        19歳の時に『忍秘傳(にんぴでん)』という服部家一子相伝の
        忍術の極意が書いてある秘伝書を授かるんだ。」

ツルギ1 「オワ~! 一子相伝! 間違いない! カッコイイ人生だ!」

ガラシャ1 「センセエ、服部家というのはもともとそういう家だったんですね。」

センセエ2「そうだね。伊賀の忍びの名門だね。
        父の保長は三河(愛知県)の松平(徳川)氏に仕えていたわけ。
        正成が最初に活躍したのは『寛政重修諸家譜(かんせいちょうしゅうしょかふ)』
        によれば、三河国の宇土城(うどじょう)夜討の時で、
        『正成16歳にして伊賀の忍び六、七十人を率いて城内に忍び入り、
        戦功を励ます。』とある。

        で、この時の活躍で家康から持ち槍を授かる。最高の勲章だよね。」

ガラシャ1 「じゅ、16歳!? スゴイ!」

センセエ2「その後はさらにスゴイ活躍をするんだ。
        永禄12年(1569年)の今川氏真(うじざね)との掛川城攻略、
        元亀元年(1570年)の浅井・朝倉軍との姉川の合戦、
        元亀3年(1572年)の武田信玄との三方ヶ原の戦い(みかたがはらのたたかい)等。
        その戦いっぷりのスゴさから『鬼半蔵(おにはんぞう)』の異名をとる。」

ツルギ1 「鬼半蔵って…カッコイイ! ボクも鬼ツルギとか呼ばれたい。」

ガラシャ2「鬼ツルギってお酒の名前みたい。
        あれ? でもセンセエ、三方ヵ原の戦いって、
        確か家康側って大敗したんじゃありませんでしたっけ?」


センセイ「そう、ガラシャさん、よく御存知で。
        でも正成はその時も家康から再び持ち槍を授かったんだよ。」

ガラシャ1 「余程の活躍ですね、それは。」

センセエ2「この時は家康は浜松城(曳馬《ひくま》城)に居たんだけど、
        正成はこの時、城の中に潜入した信玄側の間者(かんじゃ)、
        つまりスパイとして潜入していた忍者を見破ったんだ。
        竹庵(ちくあん)という名前の間者らしいんだけど、これを討ち果たしたんだね。」

ツルギ1 「オオッ! まさにそれがイメージ通りの半蔵ですねえ。」

センセエ2「だろう? ただ武器は槍なんだよね、やっぱり。
        松浦鎮信(まつうら しげのぶ)という人の『武功雑記(ぶこうざっき)』に、
        『渡辺半蔵十一度、首九つ。服部半蔵槍十二度、首十一.』と書いて、
        槍の名手を2人あげている。
        この槍(家康から拝領されたもの)は今も現存しているんだよ。」

ツルギ1 「エッ!? ホントですか?」

センセイ「東京都新宿区の西念寺というところにね。この寺には服部半蔵正成の墓まであるし。
        で、何とこの槍がね、全長2.58メートルで重量が約7.5キロもあるんだって。」


 談話イラスト53



ツルギ2「ゲエッ! 7.5キロ…? どうやったらそんなもので戦えるんだ?
        イヤ、戦う前に構えることさえも…。」


センセエ2「イヤ、それはあくまで家康から拝領されたもので、
        何もそれで戦っていたわけじゃないと思うんだよね(笑)。
        で、どうだろう。次回も半蔵の話をもう少し続けてもいいかい?」

ガラシャ2 「ハイ、お願いします。」







                    つづく       ガラシャ4
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[ 2011/10/30 00:00 ] 談話 | TB(-) | CM(-)

第54回 「神出鬼没の上忍、百地丹波でござる!!」の巻

ガラシャ1 「ハイ、という訳でセンセエ、
ガラシャさん
        今回は“百地三太夫”のモデル(?)になった百地丹波についてです。」


ツルギ1 「どんな人だったんでしょう?」
ツルギくん



センセイ 「(笑)。何か考えてみたらおかしな話だよね。」
センセエ

ツルギ2  「エ? 何がですか?」

センセエ2「だって忍者と言えばさ、『神出鬼没』『嗅になく』
        『名(知名度)もなく』『武勇(勇名度)もなし』なんて、
        三大忍術秘伝書のひとつで藤林保武(ふじばやし やすたけ)の書いた
        『萬川集海(ばんせんしゅうかい…まんせんしゅうかいと読む人もいる)』
        にも出ているし、デキる忍者というのは小説や映像の世界でもそんな感じだろ?
        だから実際どんな人かなんてわからないよね、普通。」

ガラシャ2「ち、ちょっとォ~! 『次回は百地三太夫(丹波)について話そう。』
        って言ったのはセンセエじゃないですか!」


ツルギ1 「そうですよ! しかもハリキッてね!」

センセエ2「ゴメン、ゴメン! いやあ、なんか冷静に考えると変だなって思っただけだよ。

        百地丹波は忍者の中でも位が上の『上忍(じょうにん)』なわけでね、
        普段は全く姿を現さなかったと言われる。

        また、『四方髪(よもかみ)といわれる、人を欺く術を使い、
        正体を見せず、二つ以上の屋敷や城、砦を持ち、
        いつも住んでいる場所が限定されないようにし、
        その度に性格も変えて別人になりきり、影から手下を操っていた。
        上忍と呼ばれる者は基本的にこんな感じだったわけで…。」

ツルギ2  「じゃあやっぱり、丹波についてはほとんど何もわからないと。」

センセイ「いや、それがね、織田信長とその息子の信雄が伊賀の里に攻め入った
        『天正伊賀の乱』になると、突然活躍する…
        というか、武勇が残っているんだよね。」

ガラシャ1  「へえ、何故でしょう。」

センセエ2「普通に考えたら、さすがの丹波も先頭に立たざるを得ないくらい、
        伊賀者全員のピンチだったからかなあ。」

ツルギ1「“お国のピンチ”ですもんね! で、どんな活躍だったんでしょう?」

センセエ2「菊岡如幻(きくおか にょげん)の、『伊乱記(いらんき)』によれば、
        天正7年(1579年)9月の織田信雄(のぶかつ)による
        伊賀侵攻(前期、天正伊賀の乱)において、丹波が忍者軍を指揮し、
        鬼瘤峠(おにこぶとうげ)という所で、山間の地形を利用したゲリラ戦を展開、
        信雄軍を撃退したとある。」

ツルギ1 「ゲリラ戦!! ランボーみたい!!」

センセエ2「で、それから2年後の9月に今度は息子がだらしないと言うんで、
        オヤジの信長まで出てきて、信雄を総大将にした形で伊賀に再び攻め入る
        (後期、天正伊賀の乱)んだけどね、これが凄まじい攻撃で…。」

ガラシャ1「それは聞いた事あります。伊賀の人口9万に対して、
        その半数近くの4万数千の軍勢が襲いかかり、女や子供まで斬り殺されたりして、
        伊賀の里が焦土と化したと。」


センセイ 「その通り。さすがガラシャさん。」

ツルギ2 「うへえ~。さすが信長というか…殺してしまえ、ホトトギス野郎ですね。」

センセエ2「で、この戦いで丹波は同族の百地新之丞(しんのじょう)や百地太郎左衛門(たろうざえもん)と、
        最後の拠点である柏原城(かしわらじょう)に
        700人で立て籠って指揮にあたった訳なんだけど、信雄軍には勝てず、ついに落城したと。
        でも、死んだという記録はない。
        それ以来消息を絶ったというのが正確なところでね。」

ツルギ1 「うわっ! 死んでないかもしれないんですね! カッコイイ!!」

ガラシャ1「ツルギ君、その『カッコイイ!』『カッコワルイ』という判断基準、
        いい加減どうにかしてよ!」


センセイ「ははは(笑)。ガラシャさん、男なんてみんなそういう単純なところがあるもんだよ。

        だけど、上忍たる者、自分の死をさらすなんて恥な事はしないからね。
        これは丹波だけではなく、他の忍者も皆そうさ。」

ツルギ1 「音もなく、姿もなくですもんね。」

センセエ2「そう。でもね、丹波の場合、三重県伊賀市喰代(ほうじろ)というところに
        “百地砦”と言われる城跡も残っているし、すぐそばには墓まであるんだよ。」

ツルギ1 「墓!? 存在感バリバリじゃないですか!!」

センセエ2「イヤ、わからないよ。さっき上忍は2つ以上の屋敷や城を持っていたと言っただろう?

        丹波も例外ではなく、伊賀の喰代(ほうじろ)以外に
        竜口(名張市)や大和龍口(奈良県宇陀市)という所に3ヶ所持っていた。
        実際はもっとあったんだろうけどね。
        で、喰代と竜口の百地は別人とも言われているんだ。」


 談話イラスト52



ガラシャ2「あ、じゃあ、墓があるといっても、
        それが本物の丹波のものかどうかはわからないわけですね。」


センセイ  「そうとも言えるね。」

ツルギ1 「やっぱりカッコイイ!!」







             つづく           ツルギ4
[ 2011/10/26 00:00 ] 談話 | TB(-) | CM(-)
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