談話室『和太刀』

~立ち廻りから得られる身体のお得情報!~

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第43回 「“礼”一つにも力を抜いて全身運動でござる!!」の巻 

ガラシャ1「前回の続きなんですけど、実は私も最初センセエに
ガラシャさん  『力なんか使わなくていいんだ。』という事を言われた時は、
        イコール『楽が出来る』という風に解釈しちゃっていたと思います。」


ツルギ1  「今は?」
ツルギくん


ガラシャ1「今は…。そうだなあ。力を抜くという意味を稽古の中で理解していくにしたがって、
        本当に力を抜くというのは、
        単純に力を入れるという事より数段難しいんだという事がわかってきて……。
        でも結果、それを追求する事が楽しいというか。」


センセエ2「ウン、その境地に行ければ本物だよね。
センセエ    稽古で自分を磨く者としては、確かにガラシャさんの言う通り
        本当の意味で力を抜くという事を理解して実行するというのは
        とても難しいもので…。

        第一、『力を抜く』という言葉って、
        『単純に力を入れる』という言葉の相対的ポジションとして
        説明しているに過ぎないからね。
        それを『運動エネルギー0(ゼロ)でもいいんだ。』
        っていう事と誤解してしまう人が多いんだと思うんだ。」

ツルギ1  「動くんだから当然0(ゼロ)ではないという事ですね?」

センセエ2「そう。0(ゼロ)じゃ本当にただ脱力しましたっていうだけで何も出来ない。
        その運動をする最低限の力はいると思う。
        でもそれは筋力に頼ったものでは決してない。
        素人が触れたら『本当に0(ゼロ)じゃないか!』と思うくらい脱力する。
        で、その分たかが指一本動かすにも全身を総動員するんだ。
        すると同じ指一本動かすにも、だいぶ動きの質が変わってくる。」

ツルギ2「それがなかなか…。習慣とは恐ろしいものでつい……ね。
        力に頼ってしまうし、指一本動かすという時は、
        まさに指一本だけの動きになっちゃう。」


ガラシャ2   「わかる、わかる。」

センセイ「だから古流(古伝武術)の世界では、『型』の存在が重要視されたと思うんだよね。
        あの変な格好……なんであんな事する必要があったのか。
        あれがまさに身体を使う時の神経の回路の
        組み換え作業の役まわりをしていると思うんだよね。

        だから『型』を実戦的なものとして評価しようとしても、
        型の真意なんて何も見えてこない。
        本当に使えるか使えないかというのは、表面上の動きを見るのではなく、
        その身体使いそのものを見るべきなんだよね。」

ガラシャ2「つまり、如何にも実戦的を装ったような、
        派手で剣が速いようなものっていうのは逆に怪しいという事ですね?」


センセエ2「ウン。怪しいっていうか…ほとんどダメだね。
        むしろ前衛的な方が全然信用出来る。
        『使える身体』を練るのに、現代人が理解しやすいように
        目に見える形でそれらしくしたものって、
        都合良くそうしているだけだってわかるよね。
        あと、やたらにキチンとして見えるんだけど、
        意味無くキチンとしているだけのやつとかね。」

ツルギ1「あ~。『礼に始まり礼に終わる』という所だけをやたらに協調して、
        金切り声で気合い入れてみたいな感じですね、それ。」


センセエ2「『礼を重んじる』のは大切だと思うけどね。
        でもその礼そのものが身体を板みたいに固くして…。
        力んじゃっているので、オイオイって感じ。
        だから『礼』も一つの型、動きとして見ると良いと思う。」


談話イラスト41



ガラシャ1「使える身体が養える型というのは、
        『礼』一つをとっても機能的に優れているという事ですね。」


センセエ2「その通り。全身を使っていながら、さりげなく美しいものであるべきだと思う。

        如何にも、『ハイ!礼儀ですから!』みたいなのはどうもね。
        礼をしているのに押しつけがましくて、
        逆に威張っているように見えてしまう(笑)」

ツルギ1   「何故そういう所が多いんでしょう?」

センセイ「さあ…。ひとつには宣伝効果もあるのではないかと…。

        『ウチはちゃんとしていますヨ! 力強いですヨ! 
        サムライでございますヨ!』みたいな。」

ガラシャ2 ・ ツルギ2   「(笑)」

センセエ2「『礼』に威張る心もへりくだった心もいらないと思うけど。
        それらしく見せるとなるとそうなってしまうのかなあと思う。」

ガラシャ1「正しい礼って、稽古場でもやりますけど、
        人におでこや胸につっかい棒として手を当てられていても、
        スイと出来て、止めている側の方が崩されてしまいますものね。」


ツルギ2「ウン…。でもそれも『倒してやろう!』と思うと力が入っちゃって
        逆にどんなに頑張っても礼が出来ない。」


センセイ「そうだね。『崩そう。』と思った時点で『礼』じゃないしね(笑)」

ガラシャ2「難しいけど、正しいものがちゃんと受け入れられるようになるには、
        選ぶ側の私達の眼がそれを判断するレベルにないとダメですね。」


センセエ2「そうだね。」




                    つづく         センセエ(全身2)
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[ 2011/08/31 00:00 ] 談話 | TB(-) | CM(-)

第42回 「力を抜いて動く事は力技よりしんどいでござる!!」の巻

センセエ2「僕はね、『気の力』という事に対して決して否定派ではないんだけどね、
センセエ
        あまりそれが先行してしてしまうと、
        やっぱり段々怪しくなってくるなあという思いはあるよね。」

ツルギ1「そうなんですか。
ツルギくん
        でもセンセエも稽古中に指一本で人を投げたりとかしていますよね。
        でもあくまでそれは『身体の使い方』だという立場に立っているわけですね。」


センセエ2「そう。内転筋を含めた精妙な身体の使い分けで、
        一般的に『気の力だ。』と思われている技の様なものは大体出来てしまう。

        でも身体を動かしているものが『心』であり、
        雑念を取り払ったものが『気』だとしたら、
        『気の力』は当然あるわけだよね。」

ガラシャ1「心が無ければ死人になっちゃうわけだから、
ガラシャさん
        『気の力』なんてあるのが当たり前じゃないかという事ですよね。」


センセエ2「そういう事です。ただし前回述べた江戸期の剣術の様に
        (もちろん全てではありませんが)、あまりそれが独立しちゃうとね…。

        極論『身体の使い方なんて問題じゃない。』という発想にまでいっちゃうからさ。

        やっぱりまず身体がなければどうにもならない。
        それを磨いた延長に『気』という概念があるならば
        もっと素直に受け入れられると思うんだけど…。」

ガラシャ2「ははあ、確かに。身体をすっ飛ばしていきなり気がどうのってなると、
        いくらでもインチキ出来ちゃいますもんね。」


ツルギ1「和太刀の稽古場だって、最初に稽古に見学に来た人なんかで
        ドン引きしている人が結構いますもんね。
        『ウワッ、やばい所に来ちゃったぞ。殺陣を習いに来たはずなのに、
        怪しい宗教団体みたいなコトやってる!』みたいな(笑)」


センセイ「うん、いるよね、そういう人。
        『いや、別に気とかではなくて、あくまで身体の使い方ですよ。』
        って言うとちょっとホッとした顔をしたりはするんだけど、

        それでもやっぱり不安は全部拭えないといった顔してるもんね。
        昔は僕も、『ヤバイ! ちょっとわかりやすい体育会系の稽古に
        切り替えようかな。』なんて、それこそ気を使ったけれどもね。」

ツルギ1  「今は特に怪しまれても意識しないと?」

センセイ「ウーン、というよりは、最近はむしろ逆の感情が湧いてきちゃってね。

        『じゃあ、もっとわかりにくくてインチキくさい事しちゃおうかな。』みたいな。
        それでドン引きしている人の顔を見て喜んじゃってます(笑)」

ツルギ2  「うわ! ドSじゃないですか(笑)。」


   談話イラスト40


センセエ2「そう言われるとそうなんだけど…。でもね、
        どんなに怪しい稽古をしても分かる人には分かるというかね。

        特にウチに来ようなんて人達は、身体を使った表現について
        掘り下げたいという人が多いわけだからさ。
        それが仲間内でグルになってインチキやっているだけなのか、
        自分…というか人にはまだ色々な可能性があって、
        身体の細部まで使った動きが確かに存在するんだというメッセージを
        受け取れるかどうかという意味では、そういうセンスは無いと困ると思う。」

ガラシャ1「確かに、和太刀には入団試験やオーディションなんか無いわけですもんね。

        そういうものを闇雲に信じるのでもなく、
        でも素直にそれを受け入れられるかというのは大切ですもんね。」


ツルギ1 「つまり、『見学』の時の感じを見れば、オーディションなんかしなくても、
        大体どんな感覚を持って『表現』という世界に挑もうとしている人か
        はわかるというワケですね。」


センセエ2「完璧とは言えないかもわからないけど、大体ね。
        もちろん、良くも悪くも裏切られる事だってあるわけなんだけどさ……。
        あ、でも最近は裏切られる事も少なくなってはきているよね。」

ツルギ2「エ!? そうなんですか。
        じゃあ、ボクらが『あの子は良いねえ。』なんて言っている子が
        突然来なくなっちゃったりして意外に思うというか、
        ビックリしちゃっている時でもセンセエはそうでもないわけですか。」


センセイ「ウン、大体ね、わかるもんだよ……
        と言えるようにはなってきたのかな?
        『来週も頑張ります!』って元気よく言っているけど、
        『あ~、これは続かないなあ。』みたいなね。」

ガラシャ1  「そういう人の兆候みたいなのってあるんですか?」

センセエ2「一口には言えないけどね。でも例えば、
        『力を入れてはイケない。』とどんなに言っても、
        『でも最終的には力なんでしょ?』っていう所にしか行き着けない人というのは、
        やっぱりウチみたいなスタイルの稽古はしんどいと思うんだよ。

        反対に、『力を使わないで。』という事に関してSF的な
        ロマンみたいな感覚で受け取っちゃって、
        『力を使わないという事は楽してあんなコトやれちゃうのかナァ?』
        みたいな人とかね。

        身体のごく一部、つまり小手先の動きにならない方便として
        そういう言葉で説明しているんだけど…。」

ガラシャ2「前者は身体を簡単で雑なものと思っているんで、
        後者は身体を使う気が無い…というか楽したい人とか
        頭でっかちな人というか。」


ツルギ2   「どっちもしんどいですねえ(笑)。」






                  つづく           ツルギ4
   
[ 2011/08/28 00:00 ] 談話 | TB(-) | CM(-)
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